アメリカ生まれのソフトクリーム?!
偶然とアイデアが連続のソフトクリームの起源とは?

今では、日本人の誰もが食べたことのある身近で特別なスイーツとして、多くの人々に愛されるソフトクリーム。今回は、そんなソフトクリームが日本にやってくる前のお話。

アメリカで普及したソフトクリーム。

雪でミルクを凍らせて食べていた古代から、冷やす技術の発展により、現在のアイスクリームに近い、原型が生まれたのが17世紀終わり頃のヨーロッパ。イタリアの菓子職人が作った、卵黄やホイップクリームを用いた乳成分たっぷりの氷菓子がそれとされています。初期のアイスクリームは、まだまだ庶民の手には届かない贅沢品とされていましたが、それから約160年後、1846年のアメリカで、主婦のナンシー・ジョンソンが、樽の中に氷と塩を入れて冷却する「手回し式アイスクリームフリーザー」を発明します。

これにより、一般の家庭でもアイスクリームが作れるようになるほど、アメリカで広く普及しはじめました。ちなみに、今日のハードアイスクリームに分類されるアイスクリーム(急速に冷凍・硬化させたものを「ハードアイスクリーム」と呼びます)ほどしっかりと凍らせる技術はまだなく、むしろソフトクリームに近いやわらかな食感のものだったと言われています。

ピンチはチャンス?!コーンカップが生まれた、大事件!

1904年、アメリカはミズーリ州の都市、セントルイスで開催された万国博覧会では、現在のソフトクリームに繋がる大きな転機がありました。

万博開催中のある日、ワッフル屋とアイスクリーム屋が隣同士で出展していた時のことです。当時、アイスクリームは紙皿に載せての販売スタイルでしたが、この日は猛暑。アイスクリームは飛ぶように売れ、用意していた紙皿が全て無くなってしまうというトラブルが起きてしまいます。その時、隣でウエハース状のワッフルを焼いて販売していた店主、アーネスト・A・ハムウィは、紙皿の代わりに自店の売り物であるワッフルを円錐状に巻いてアイスクリームを盛って販売することを考案!

このアイデアは、器まで美味しく食べられるということで、またたく間に会場中に広がり、見事に大ヒット!現在につながる、ソフトクリームとコーンの組み合わせが誕生した瞬間でした。

作りたてを売りたい。ついに登場したソフトクリームフリーザー!

19世紀になって冷凍技術が急速に進歩し、アイスクリームは大規模な工場で作られ広い地域で販売されるように。しかし、運搬や保存のために、一度マイナス20℃以下で固く凍らせ、販売時もマイナス5℃以下を保たなければならず、アイスクリーム本来のフレーバーなどが損なわれていました。

そんな中、1931年のアメリカで、昔のようにフリーザーから直接、作りたてのアイスクリームを手渡すことができないだろうか、と考え出されたのが、掃除機のモーターを流用し、アイスマシンとフリーザーを1つの箱におさめた「オートマティック・ソフトサーブマシン」です。このマシンの誕生により、その場で作りたてのアイスクリーム、つまりソフトクリームの販売が可能になりました。

オートマティック・ソフトサーブマシン(※イメージ)

ついに日本に上陸!日本の特色あるソフトクリームとして今も進化中!

そして、1951年。ソフトクリームがついに日本に上陸。日世の創業者である田中がアメリカでソフトクリームが流行しているとの情報をキャッチし、日本国内でも販売することを考案。戦後の厳しい輸入規制のなか、アメリカからマシンを10台輸入することに成功し、ソフトクリームを初めて日本に紹介しました。

それからは、コーン、フリーザー、ソフトミックスと国内初となる自社生産が始まり、様々な販路やイベント、現在のプレミアムなソフトクリームや地域の特色を活かしたご当地ソフトなどにより、ソフトクリームは日本人に広く浸透。様々なアイデアと改良により日本独自の進化を続けています。詳しくは、特設サイト「NISSEI歴史ミュージアム」もチェックしてみてください。たくさんのアイデアと偶然によって生まれたソフトクリーム。これからも、家族や友人と楽しんでくださいね!

ソフトクリームが日本にやってきてからの逸話もたくさん!

ソフトクリームの日本での火付け役はあの有名人?!あの歴史的なイベントがきっかけだった?!など、ソフトクリームが日本にやってきてからの歴史的なエピソードや日世の開発の歴史など興味深いお話はまだまだたくさん。当サイト「NISSEI歴史ミュージアム」をご覧ください!
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NISSEI歴史ミュージアム

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