新時代の環境変化に適したアイデアで
スイーツの新たな可能性を創出
2020年1月頃より世界に広がった
新型コロナウイルス感染症は
人々の生活や経済活動に深刻な影響を与え、
飲食業にも劇的な変化と対応が急速に求められました。
NISSEIでは、これまで培ってきた技術を応用しながら、
視点を切り替えた発想を展開。
テイクアウトやおうち時間にフォーカスした
新商品やメニューが誕生するなど
ソフトクリームやスイーツの新しい可能性を広げています。
家庭用商品
フルーツバター誕生!
ゴロゴロとした圧倒的な果⾁感のフルーツバターを発売!
パウチタイプだから冷蔵庫にしまいやすく、忙しい朝や
お子様でもスプーン要らずでサッと塗りやすい!
贅沢なおうち時間をご提供しています。
彩りスムージーベース
誕生!
フルーツに野菜の健康イメージをプラス!
フルーツの甘みと果肉感を最大限に活かした
贅沢スムージーが手軽に作れる
「彩りスムージーベース」が誕生しました。
ソフトクリーム+氷と合わせた
「スウィーツ+スムージー」の
新感覚ドリンク「スウィージー」も開発!
デリバリー&テイクアウトに最適な
ソフトクリームメニューを可能にしました。
こだわる消費者のニーズに応える
商品開発が盛んに
長引くデフレの影響で、物の価値が低下する時代において、
NISSEIが着目したのは、本当に価値のある商品なら少々高くても
惜しみなく代金を支払う「こだわる消費者」の存在でした。
上質を求める「こだわる消費者」のニーズに応えて、
材料、形状、味にこだわった プレミアム生クリームソフト
CREMIAや、日本のブランド果実を使った
JAPAN PREMIUM シリーズを
世の中に送り出しました。
SILKREAM 阪急三番街店
オープン!
大阪・梅田「阪急三番街」で長年にわたり、
幅広い世代に愛されてきた
日世のパイロットショップがリニューアル!
大切な誰かと一緒に食べる
素敵な時間と空間をコンセプトに
ソフトクリームの新たな可能性を広げる、
おいしさと体験を提供しています。
CIシリーズ
フリーザー誕生!
新しい技術と考え方を基軸に開発!
管理と操作のスマート化を実現する
新世代のソフトサーバー「CIシリーズ」が誕生しました。
各種運転記録やお知らせ機能などを搭載し、
HACCAPの考え方に基づく衛生管理をアシスト。
ソフトクリームの安全性を見える化しました。
JAPAN PREMIUM
立ち上げ!
恵まれた気候⾵⼟と豊かな⾃然のもと、
四季折々のおいしい果物が採れる⽇本。
各産地では、真⾯⽬で研究熱⼼な⽣産者の皆さまが、
安全安⼼でおいしい果物を育てています。
“この産地” “この⽣産者”ならではの“この果物”の
おいしさを、⽇世ならではの卓越した技術で
ソフトクリームに表現しました。
最高級ソフト
「CREMIA」誕生!
濃厚なのに後味すっきり。
生クリーム25%配合・乳脂肪分12.5%の濃厚クリームと、
上質なスイーツにふさわしい食感のラングドシャコーン。
“プリーツが施されたシルク”をイメージしたクリームの形状
が特徴の「CREMIA(クレミア)」が誕生しました。
NISSEI OVEN FACTORY
立ち上げ!
NISSEIがソフトクリームコーン開発で培った技術とノウハウ
を駆使し、「焼き菓子のおいしさと器としての機能にこだ
わりを持たせた新しい商品」を開発しました。
日世ソフト
ドリームカープロジェクト
東日本大震災で被災された方々に、元気と笑顔を。
ドリームカーが被災地をめぐりソフトクリームをお届けしました。
企業と社会のかかわりが注目される
日本において、”CSR(企業の社会的責任)”
という言葉が急速にひろがり、地域の活性化や、
社会の発展に貢献することが、企業のあり方として
求められるようになりました。
NISSEIは、2006年にキッザニア東京、
2009年にキッザニア甲子園に参画、
子ども達が社会のことを楽しく学べる
きっかけづくりに取り組んでいます。
キッザニア甲子園に
ソフトクリームショップ
パビリオンを出展
子ども達があこがれの仕事を体験できるキッザニア甲子園に、
「ソフトクリームショップ」パビリオンを出展しました。
ワッフルボウルミニ誕生!
お客様の声を採りいれ、ワッフルボウルの
小さめサイズの生産を開始しました。
フローラルトップ誕生!
「花」をテーマに盛りやすい形の
コーンの生産を開始しました。
キッザニア東京にソフトクリーム
ショップパビリオンを出展
子ども達があこがれの仕事を体験できるキッザニア東京に、
「ソフトクリームショップ」パビリオンを出展しました。
愛・地球博
愛知県で開催された21世紀最初の国際博覧会
愛・地球博では、世界各国のパビリオンで、
さまざまな味のソフトクリームを堪能することができました。
ココアワッフルコーン誕生!
ワッフルコーンのバリエーション化のために、
ココア味のワッフルコーンの生産を開始しました。
ワッフルボウル誕生!
カリカリとした食感はそのままに、お洒落で持ちやすい
ボウル型のワッフルコーンの生産を開始しました。
「ニックン&セイチャン」
の名前が決まる
40年以上にわたり、
ソフトクリームとともに愛されてきたイメージキャラクターのふたり。
ネーミングキャンペーンには全国から5万件を超える応募があり、
数週間におよぶ審査の結果、
男の子が「ニックン」、女の子が「セイチャン」
という名前に決定しました。
生乳ライト3.5 誕生!
“絞りたての牛乳をそのままソフトクリームに”をコンセプトに、
できるだけ添加物を抑え自然な風味を残した
「生乳ライト3.5」は、ナチュラル志向の消費者から
高い人気を獲得しました。
ホームページ人気企画
ご当地ソフトをたずねて
スタート
記念すべき第1回目は鳥取県の梨ソフトでした。
日世 ホームページ開設日世公式ホームページが
オープンしました。
日世公式ホームページが
オープンしました。
高品質・高安全・高付加価値
ソフトクリームとデザートコーン
プレミアムソフトクリームの発売に際し、
高品質に見合ったコーンの検討を重ね、
デザートコーンやローレルトップが誕生しました。
ローレルトップ誕生!
デザートコーンの人気により、
さらにスマートな形状で月桂樹をモチーフにした
ローレルトップの生産を開始しました。
ご当地ソフトを中心とした
第三次ソフトクリームブームの到来
観光地の名物として地域の特産物を使えば色鮮やかな
おいしいソフトクリームが作れるはず!日世のフルーツ加工工場で
地域の名産フルーツを使った色鮮やかなソフトクリーム
作りを開始したんだよ。ちょうど同じ時期、全国に次々と
「道の駅」が制定され始めて、全国各地の名産物を
ソフトクリームにする「ご当地ソフト」は瞬く間に
広がっていったんだ。ご当地ソフトはパーキングエリアや
地方のお土産もの屋さんでもよくみるね!
北海道ソフトクリーム誕生!
北海道の豊かな自然をコンセプトに、生乳と生クリームを使用した
「北海道ソフトクリームミックス」の生産を開始しました。
巨峰ソフト誕生!
地域の名産フルーツを使ったソフトクリーム作り。最初に完成した
のは、淡い紫色が涼しげな山梨の「巨峰ソフト」でした。
ロイヤルカップ、
デザートコーン誕生!
ソフトクリームの高級化に伴い、それに合わせた付加価値の高い
デザートコーン・ロイヤルカップの生産を開始しました。
当時の広告
当時のパンフレット
ソフトクリームの日を7月3日に制定
ソフトミックスおよびフリーザーメーカーが集まって話し合い、
明治神宮外苑で開かれた進駐軍主催のカーニバルで
日本に初めてソフトクリームが登場した7月3日を
「ソフトクリームの日」と制定しました。
国際花と緑の博覧会に出店
大阪市の鶴見緑地で開かれた国際花と緑の博覧会に出店しました。
花博向け商品として、フラワーコーンにフラワーソフトクリーム
さくら、すみれ、あさがおのフレーバーを揃え、
花博ムードを盛り上げるのに一役買いました。
ソフォーレ誕生!
生乳を60%配合し、さわやかな味わいを強調した
最高級ソフトクリーム「ソフォーレ」
の生産を開始しました。
時代感覚にマッチしたソフトクリーム
専門店「ミュクレバー」を発表
ミュクレバーは、複数のソフトクリームフレーバーが
味わえる段盛りをメインとしたソフトクリームの専門店で、
1984年以降全国に広がりました。当時の若者には
派手な色や見た目にインパクトのある商品が好まれ、
カラフルな段盛りスタイルやビッグパフェは
瞬く間に話題となりました。
No.3トリアンゴロコーン、
No.4クワドラートコーン誕生!
ジェラートブームに合わせ、
三角および四角形のNo.3トリアンゴロコーン、
No.4クワドラートコーンの生産を開始しました。
手焼き風ワッフルコーン
誕生!
テイクアウトのサンデーメニューを確立するために
手焼き風ワッフルコーンの生産を開始しました。
当時の広告
科学万博つくばʻ85 出店
筑波研究学園都市で開かれた科学万博「つくばʼ85」に、
段盛りソフトクリームを主力商品として
提供するミュクレバータイプの売店を出店しました。
No.8ワイドトップコーン誕生!
ソフトクリームの溶け出しに対応するため、ソフトクリームの
盛り付け部分の外側に垂れ受け部分を備えた
二重構造で新奇性のある八角形のNo.8ワイドトップコーン
の生産を開始しました。
ファンウェファー誕生!
喫茶市場のパフェメニュー向けに、上品な食感と味わいの
デコレーションウェファーの生産を開始しました。
ソフトクリーム専門店の形態として
「ミュクレバー」を発表
8種類のフレーバーのソフトクリームからシングル、ダブル、トリプルの
大きさをお好みで選べる専門店の形態を企画。各フレーバーを
上下に重ねたインパクトのある段盛りソフトは当時の時代感覚に
ぴったりのスタイルとして注目を集めました。
ビッグパフェが大ヒット
目にも鮮やかで、遊び心のある
ビッグパフェが大ヒットしました。
当時の広告
ミュクレ誕生!
業界初アイスミルクグレードの規格を満たした
「ミュクレ」の生産を開始しました。
ポートピアʼ81 出店
神戸市沖合の人工島ポートアイランドで開かれた
「ポートピアʼ81」に出店しました。
ソフトクリーム、サンデーソフト、シェークの3商品のほか、
ジュース、ビール、ポップコーン、各種みやげ品、
写真フィルムも取り扱いました。
カプセルショップ
「メリーランド」発表
ユニークなデザインと省スペースでの作業性を
重視した機能的な設計で、多種多様なメニューを
お客様に提供しました。
ロングトップコーン、
ミニトップコーン誕生!
ロングトップコーンとミニトップコーンの生産を開始しました。
コーンの大きさにバラエティをもたせ
フレアトップとともにラインナップを充実させました。
大阪万博大作戦~シンボルマークの制定
自社生産のコーン、ソフトクリームミックス、
フリーザーの3点セットを揃えて
万全の態勢で挑んだ大阪万博は大成功をおさめ、
ソフトクリームは急速に全国各地へと広がり、
多くの人に愛されるデザートになりました。
そして、創業30周年を機に社名の認知と社会的個性、
他企業との差別化を目的として、
新しいシンボルマークとスローガンを制定しました。
当時の広告
ソフグルト誕生!
主流の、バニラ、チョコレート、ストロベリー味に加え、
マイルドな甘さとほどよい酸味が絶妙なヨーグルト風味の
ソフトクリームが誕生しました。
CIS(Corporate Identification system)
制定
シンボルマークは明るく、太陽のごとく燦然と世界に伸びゆく日世の
若々しい姿と、広い視野にたって大きく雄飛する日世を象徴。
スローガンは
「ソフト・コミュニケーションで世界を結ぶ日世」
と定めました。
単に製品を開発提供し、そのサービスを完全に行うことで社会に貢献する
にとどまらず、世界各国との技術交換・情報交換によって、
友好と誠意ある交流に努力を重ね「世界は一つ」を
実現するという希望がこめられています。
シュガーロールコーン誕生!
アイスクリーム用のコーンとして
シュガーロールコーンの生産を開始しました。
ジャンボコーン誕生!
市場の要望からジャイアントコーンより
さらに大きく、サンデー盛りにも使える
ジャンボコーンの生産を開始しました。
カラーコーン誕生!
当時カラフルな商品が流行していたため、コーンカップも
赤・青・黄・茶色のカラーコーンが誕生しました。
大阪万博をきっかけに全国に広がった
第二次ソフトクリームブーム
1970年に大阪で開かれた日本万国博の会場には約200台の
ソフトクリームフリーザーが設置され、ソフトクリームを
食べながらパビリオンをめぐるのが大流行。
大阪万博の影響は閉幕後も続いて、当時次々と建ち始めた
スーパーマーケットや駅ビル、ショッピングセンターでも、
ソフトクリームの販売が始まり、
全国的にソフトクリームが広がったんだよ!
万国博覧会太陽の塔
日世直営“A売店”
レジャーの大衆化、
ツイン盛りソフトクリームが流行
1964年の東海道新幹線開通や名神高速道路開通により、
レジャーの大衆化が進みました。
あわせて、ドライブインやスポーツ施設、遊園地、
レジャーランドの建設も活発に行われ、外食産業も多様化しました。
そんな中、1967年にダブルタイプのソフトサーバーを発売し、
ツイン盛りのソフトクリームが流行しました。
衛生問題への取り組み
ソフトクリーム関連製品の充実をはかる一方、衛生問題にも積極的に
取り組みました。ソフトクリームの正しい取り扱い方をつづった
小冊子「ソフトクリームの衛生」を作成し、ソフトクリーム
取り扱い業者の必読書としました。
ダブルヘッダーコーン誕生!
2色型のフリーザーの登場に伴い、バニラとフレーバー
ソフトクリームが同時に楽しめるダブルヘッダーコーンの
生産を開始しました。
当時の新聞広告
ソフトサーバー
「ダブルタイプ」発売
2種類のフレーバーのソフトクリームが
提供できるようになりました。
No.15テイクアウトコーン
誕生!
金型の国産化でNo.2テイクアウトコーンから
イメージアップを図ったNo.15テイクアウトコーンの
生産を開始しました。
ソフトサーブミックス
生産開始!
日夜試作研究を重ね、コーン、フリーザーに続いて
ソフトクリームミックスの自社生産を開始しました。
当時の売り場風景
ソフトクリームの移動PR
いろんな場所でいろんな人にソフトクリーム
を知ってもらいたくてつくられた移動PRカー。
全国をぐるぐる回って、大活躍しました。
国産フリーザー販売開始!
1950年代後半は市場の輸入物のフリーザーが老朽化し、
その放置はソフトクリーム市場の衰退に繋がることから
フリーザーの自社開発に取り組み、
国産初のフリーザー 1-216A3型
の製造に成功しました。
輸入販売を経て、
国産コーンの生産開始
1951年、10台のフリーザーの輸入に成功したところから、国内での
ソフトクリーム販売が本格的にスタートしました。ソフトクリームが
話題になるなかで、最も困難をきたしたのはコーンの供給でした。
当時のコーンは100パーセント輸入品で、高価な上に、
破損や湿気などの不良品が多く、これがコーンの国産化を促しました。
1953年、NISSEIは、コーンの生産を開始しました。
シュガーコーン誕生
シュガーコーンの生産を開始しました。
当時の売り場風景
家庭用コーンの販売開始
家庭用ホームパックを発売しました。
街のそば屋と力道山。
第一次ソフトクリームブーム
1953年、日本で白黒のテレビ放送がはじまったばかりのころ、
テレビはとても高価で、家にテレビがあることがめずらしかったんだ。
そこで東京下町のおそば屋さんが、
客寄せのひとつとして店にテレビを置きはじめたんだけど、
当時人気のあった力道山が活躍するプロレスが始まるのは夜の8時。
すでに夕食をすませたお客さんはお腹がいっぱいで、
おそばを食べないことに気づいて、
ソフトクリームを売り出したらそれが飛ぶように売れたんだ。
ソフトクリーム・ブームの火付け役は、力道山だったんだね!
当時のコーン販売の
パンフレット
ジャイアントコーン誕生!
大型のジャイアントコーンの生産を開始しました。
当時の看板
国産コーンの誕生!
国産のNo.2テイクアウトコーン、
No.1フレアートップコーンの生産を開始しました。
社名を「日世株式会社」
に変更
株式会社二世商会から日世株式会社に社名を変更。
社名には日本と世界を結ぶ会社にとの希望を込めました。
コーンの輸入
ソフトクリームになくてはならないケーキコーン。
最初は100%輸入品でした。
米軍主催カーニバルで
ソフトクリームが
日本初お目見え
明治神宮外苑で開かれた進駐軍主催のカーニバルの
模擬店で、初めてコーンスタイルの
ソフトクリームが売られました。
1951年 ソフトクリームが日本にやってきた!
創業者が、米国でソフトクリームが流行しているとの情報をキャッチ。
いずれ、日本でも人気商品になるであろうと考え
戦後の厳しい輸入規制のなか、米国スウェーデン社の
ソフトクリームフリーザー 1-95A3 型 (通称チャレンジャー)を
10台輸入することに成功したんだ。
最初に大阪梅田・阪急園芸の喫茶パーラーに設置して、
デモンストレーションを行ったところ、
大好評で、百貨店や食堂、喫茶店に広がっていったんだよ!
1-95A3型(通称 チャレンジャー)
当時の販売店の様子
二世商会を創業、貿易と
進駐軍関係の渉外事業で
スタート
米国・カナダの日系二世であるメンバーを中心に
英語力を活かし、日本復興に必要となる貿易業務を
目的に「株式会社 二世商会」を設立しました。
1947年から始まった、NISSEIの歴史。
NISSEIとソフトクリームの歴史を
振り返ってみて、これから食べる
ソフトクリームの味が、一味違って感じる
かもしれないね。そういえば、
ソフトクリームが食べたくなってきたね、
ぜひ、次の休みの日に家族や友達、
大事な人を誘ってみてね!
これからもNISSEIのソフトクリームをよろしくお願いします。