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ソフトクリームの意外な歴史!そのルーツや発展の歩みをたどってみよう

→資料館(ソフトクリームの基礎知識)はこちら

年代、ソフトクリームヒストリー、まめヒストリー
ソフトクリームの起源 紀元前
2000年頃
ソフトクリームのルーツは、
なんと4000年も昔の中国だった!

BC2000年頃から中国では家畜の乳しぼりが始まり、ミルクはとても貴重な飲み物でした。ミルクを長時間煮てから雪で冷やしてやわらかい糊状にした氷菓(現在のシャーベットに近い「アイスミルク」)は、大金持ちのシンボルでした。
また、果肉入りのジュースを雪やアイスミルクとまぜたフルーツアイスも作られていました。
英雄ジュリアス・
シーザーも、
冷たいものが好き!?

古来から、氷や雪は食べ物を保存するために使われていましたが、やがて冬に貯蔵した氷や雪を夏に健康食品として食べるようになりました。 ローマの武将ジュリアス・シーザー(BC100〜44)は嗜好品としての味を求め、アペニン山脈から運ばせた氷や雪に乳や蜜、 ワインなどを混ぜ合わせたものを冷やして飲んだといわれています。
13世紀頃 シルクロードを通って、
中国からイタリアへ。

マルコ・ポーロ 中国で長く伝えられていたアイスミルクをイタリアへ伝えたのはマルコ・ポーロだったという説があります。 1295年、マルコ・ポーロは25年間におよぶアジア横断の旅をおえてヴェネツィアに戻り、「東方見聞録」を著しますが、その際、北京で出会ったアイスミルクの製法をイタリアに持ち帰ります。これによって、氷菓の製法がヨーロッパに広まったといわれますが、果たして真実はいかに。
1533年 イタリアからフランスに嫁いだ、
冷たいデザート。

イタリアでは氷菓の製法はお金持ちだけの秘密でした。しかし1533年、フィレンツェの大富豪メディチ家のカトリーヌが、後のフランス王アンリ2世となるオルレアン公に嫁いだ際、その製法がフランスに伝えられることになりました。 1ヶ月にもおよぶ祝宴はおどろくほど豪華なもので、メディチ家のカトリーヌ・ド・メディチとフランス王アンリ2世料理人たちが作った木イチゴやオレンジ、イチジクなどのシャーベットが供され、カトリーヌは自分の国の調理技術の素晴らしさを西ヨーロッパの国々に見せつけました。
16世紀頃 「冷やす技術」の進歩で
シャーベットづくりが発展。

16世紀の中頃、イタリアの大学教授マルク・アントニウス・ジマラが、硝石(黒色火薬の原料)が水に溶ける時に起こる吸熱作用で温度が下がることを発見。イタリアではお金持ちがワインを冷やすためなどにこれを利用しました。さらに、氷に硝石をまぜてものを一気に冷やす技術が開発され、飲み物を凍らせることに成功。これにより、天然の雪や氷を原料としないシャーベットが作れるようになったのです。
 
1686年 現在のアイスクリームの
原型が生まれました。

1686年、イタリアのシチリア島出身の菓子職人フランソワ・プロコープが、パリに「カフェ・プロコープ」を開店。1720年には、今日のアイスクリームの原型ともいえるホイップクリームを凍らせた「グラス・ア・ラ・シャンティ」や、卵を用いた「フロマージュ・グラス」などをつくり出し、乳成分たっぷりの新しいタイプのアイスクリームをもたらしました。
 
アメリカで発展したソフトクリーム 1846年 アイスクリームの
歴史を変えた大発明。

初期のアイスクリームは、庶民には手の届かない贅沢品でした。ところが1846年、アメリカの主婦ナンシー・ジョンソンが、樽の中に氷と塩を入れて冷却する「手回し式アイスクリームフリーザー」を発明。これによって一般の家庭でもアイスクリームが作れるようになったのです。
手回し式アイスクリームフリーザーただし、今日のアイスクリーム(専門的には“ハードアイスクリーム”と呼びます)ほどしっかりと凍らせることは技術的に無理で、むしろソフトクリームに近いやわらかな食感のものでした。
紙皿の代用品として
生まれた
ソフトクリーム・
コーン。

1904年に開催されたセントルイスの万国博は、ソフトクリーム史に残る大きなエポックを生み出しました。 会場でウエハース状のワッフルを焼いて販売していたアーネスト・A・ハムウィは、隣のアイスクリームスタンドで皿がなくなっていることに 気づき、ワッフルを円錐状に巻いてアイスクリームを盛って販売することを考案。 セントルイスの万国博ポスター大好評を得たのが、コーンの誕生だったのです。
1931年 ついに登場した
ソフトクリームフリーザー!

19世紀になって冷凍技術が急速に進歩し、アイスクリームは大規模な工場で作られ広い地域で販売されるようになりました。しかし、このアイスクリームはマイナス20℃で固く凍らせ、マイナス5℃を保って販売しなくてはいけなかったために、フレーバーなどが損なわれていました。1931年アメリカで、昔のようにフリーザーから直接、作りたてのアイスクリームを手渡すことができないだろうか、と考え出されたのが「オートマティック・ソフトサーブマシン」でした。これは掃除機のモーターを流用し、アイスマシンとフリーザーを1つの箱におさめた機械で、このマシンの誕生がすなわち現在のソフトクリームの誕生といえます。
ソフトクリーム日本に伝来 1951年
(昭和26年)
ソフトクリームが日本に上陸。
進駐軍主催のカーニバルの模擬店 ソフトクリームが日本に登場したのは1951年。明治神宮で開かれた進駐軍主催のカーニバルの模擬店で、初めてコーンスタイルのソフトクリームが売られました。一般の日本人が、最初にソフトクリームを食べ、フリーザーの運転を見たのがこの時だったのです。そして同年9月より、日世の働きかけによって百貨店などの食堂・喫茶などで次々とソフトクリーム売店が開店し、わが国のソフトクリーム発展の土台となりました。
そば屋と力道山と
ソフトクリーム。

ソフトクリームの第一次ブームが訪れた頃、白黒のテレビは庶民には高嶺の花でした。 それに着目した東京下町のおそば屋さんでは、客寄せのひとつとして店にテレビを置きはじめました。 ところが、人気番組のプロレスが始まるのは金曜の夜8時。すでに夕食をすませた客がおそばを食べないことに気づいて、 「おそばがダメなら、ソフトを食べて」とソフトクリームを売り出しました。ソフトクリーム・ブームの火付け役は、意外にも力道山だったんだ!?
1953年
(昭和28年)
ソフトクリームはできても、
コーンが足りない!

ソフトクリームのおいしさやカッコよさ、物珍しさは爆発的なブームをもたらしました。フリーザーの輸入も始まり、国内でのソフトクリームの販売は本格的にスタートしましたが、最も困難をきたしたのはコーンの供給でした。当時は輸入に頼っていたので高価な上に、輸送中の破損や湿気のため不良品が多く、これがコーンの国産化を促しました。日世では国内で初めて、1953年よりコーンの生産を開始しましたが、生産担当者の苦労は想像を超えたものでした。
 
1954年〜
1956年頃
(昭和29年〜
31年頃)
ソフトクリームの第一次ブーム到来。
復興期の日本に初めて登場したソフトクリームは、またたく間に人々の心をつかみました。朝鮮動乱の特需景気もあって街には飲食店が増え、有力店はいち早くソフトクリームに着目し、米軍払い下げのフリーザーを買い求めました。まもなく、デパートの食堂や有名レストランでも販売されるようになり、国産フリーザーの開発や、粉状・液状ミックス(クリームの原料)の販売とともに1954年以降、第一次ブームに火がつきました。
 
 
1970年
(昭和45年)
日本全国に広がった第二次ブーム。
1970年に大阪で開かれた日本万国博には、6,000万人もの人がつめかけ、超ビッグなイベントとなりました。この会場にも200台のソフトクリームフリーザーが設置され、ソフトクリームを食べながらパビリオンをめぐる人たちの姿が大いに目を引きました。そして当時次々と建ち始めたスーパーマーケットや駅ビル、ショッピングセンターがソフトクリームの新しいマーケットとなり日本全国に広がりました。
 
ソフトクリーム
協議会の発足

1990年(平成2年)ソフトクリームの品質向上と共に消費者の認知を高め、売上の拡大を図るべくソフトミックスおよびフリーザーメーカーが集まり日本ソフトクリーム協議会が誕生しました。昭和26年7月3日に明治神宮外苑で開かれた進駐軍主催のカーニバルで日本に初めてソフトクリームが登場したことを記念して、協議会は7月3日を「ソフトクリームの日」と制定。翌1991年(平成3年)には、40周年記念イベントとして「ソフトクリームイメージソングコンテスト」が東京渋谷で開催されました。
1984年〜
1986年
(昭和59〜
61年)
多彩なフレーバーと
新しい段盛りスタイルが話題を集める。

1984年、日世では新しい時代のソフトクリーム専門店のスタイルとして『ミュクレバー』を発表しました。このお店では8種類のフレーバーとシングル、ダブル、トリプルの大きさをお好みで選べ、各フレーバーを上下に重ねた段盛りソフトが当時の時代感覚にぴったりのスタイルとして注目を集めました。ミュクレバー発表後半年間で首都圏を中心に約30店が、さらにその人気は全国に広がり、翌年には150店がオープン、科学万博「つくば'85」の会場にも登場しました。
1989年〜
(平成元年)
"本物志向"から生まれた
プレミアムソフトクリーム。

1989年、日世では高まりつつある消費者の本物志向にこたえ、より魅力あるソフトクリームの開発に取り組みはじめました。まず1990年には牛乳を贅沢に使いさわやかな味わいを強調した最高級ソフトクリーム「SSMソフォーレ」を発売。北海道ソフトクリームミックスポスター翌年には新コンセプトコーン「デザートコーン」を新発売、第三次ソフトクリームブームへの先駆けとなりました。また、1994年には北海道の豊かな自然をコンセプトに、生乳と生クリームを使用した「北海道ソフトクリームミックス」を発売、プレミアムソフトクリームの地位を確立しました。
1996年〜
(平成8年)
第三次ソフトクリームブーム到来
本物志向商品の拡大とともにコンビニエンスストアでの本格的取り扱いも始まり、これと時を同じくして北海道の牧場自家製ソフトクリームブームが話題となり、また地方の特産物を取り入れたご当地ソフトが次々と登場、有名レストランチェーンのソフトクリームが話題となるなど、テレビ、雑誌などにもたびたび取り上げられ、本格的ブームが再び到来しました。
 
2000年
(平成12年)
絞りたての牛乳をソフトクリームに
「生乳ライト3.5」が登場。

日世から新しいタイプのソフトクリーム・ミックス「生乳ライト3.5」が発売されました。“絞りたての牛乳をそのままソフトクリームに”をコンセプトに、できるだけ添加物を抑え自然な風味を残した「生乳ライト3.5」は、ナチュラル志向の消費者から高い人気を獲得。牛乳を毎日飲んでも飽きないように、“毎日食べても飽きない”ソフトクリームが誕生しました。
 
 
2001年
(平成13年)
ソフトクリーム日本上陸50周年、
「ニックン・セイチャン」の名前決まる。

ソフトクリームが日本に紹介されてからちょうど50年目となるこの年、日世ではイメージキャラクターの男の子・女の子のネーミングキャンペーンを実施しました。これまで40年以上にわたり、ニックンとセイチャンソフトクリームとともに愛されてきたイメージキャラクターのふたり。キャンペーンには全国から5万件を超える応募があり、数週間におよぶ審査の結果、男の子が「ニックン」、女の子が「セイチャン」という名前に決まりました。
 
 
2002年
(平成14年)
「ソフトクリーム文化を育成、開花」
〜食品産業功労賞を受賞。

日本食糧新聞社の制定する「食品産業功労賞(生産部門)」に、日世(株)代表取締役社長の酒井一が選ばれました。日本にソフトクリームという新しい食文化を持ち込み、コーン・ミックスの国産化や販売店への衛生指導など良質でおいしい製品を提供することで、日本のソフトクリーム文化を大きく育成・開花させたことがその受賞理由となっています。
 
食品産業功労賞の楯  
2003年〜
(平成15年)
ソフトクリームサーバー NA-1208AE日本初の手軽でコンパクトな
ソフトクリームサーバーが登場。

日世が日本初の100V空冷式・自動殺菌ソフトクリームサーバー「コンパクトNA」を発売しました。手軽にソフトクリームの販売が可能となり、多くの飲食店からの反響を得ました。
 
・参考文献:
「アイスクリーム図鑑」社団法人日本アイスクリーム協会
「ソフトクリーム」東京ソフトクリーム衛生協会、日本ソフトクリーム協議会
「日世の50年史」日世株式会社

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